夏の夕方、買い物袋を片手に帰る道すがら。
「今日はもう、あまり重たいものは食べたくないな」
そんな気分の日に、冷蔵庫で出番を待ってくれているのが「トマトのお浸し」です。
火照った身体に、つめたく冷えただしがじんわりとしみていく感じ。
赤いトマトと、透き通ったつゆ。
薬味をひとつのせるだけで、静かな存在感が生まれるひと皿です。
ごちそうではないけれど、あるだけで気持ちがふっとほどける。
この季節の私にとっては、そんな料理です。
だしを吸ったトマトは、少しだけ上等になる
トマトは、切ってそのまま食べるだけでも十分おいしい野菜。
けれど、皮をむいて白だしに漬けたトマトは、和食らしいやさしさをまといます。
私が使っているのは、ごく普通の中玉トマト。
湯むきして、白だしと水を1:3で割ったつゆに漬けるだけ。
冷蔵庫に一晩置けば、だしがじんわりとしみて、まるで冷たい吸い物のような、清らかな味に変わります。
盛りつけは、できるだけ涼しげに。
冷やした器にそっとトマトを入れて、透き通ったつゆを注ぎ、しょうがの千切りや大葉をのせれば、それだけで食卓に季節の風が吹く気がします。
「今日はこれがある」と思えるだけで、帰り道の足取りが軽くなる。
それも、夏の台所の大事な要素かもしれません。
湯むきという、ひと手間のリズム
暑い日は、なるべく火を使いたくない。
でも、トマトのお浸しだけは、ちゃんと湯むきをするようにしています。
ほんの数秒、お湯を通して氷水に落とす。
手のひらの中で、皮がつるんとむけていく感触。
それがなんだか、気持ちを整えてくれるのです。
料理というより、手を動かすことで暮らしの速度を整えるような時間。
慌ただしい日が続いているときほど、このちょっとだけの手間が、心に効いてくる気がします。
足さない勇気。引くことで整う味
味つけはシンプルがいちばん。
白だしと水、ほんの少しの薄口醤油。
ときにはすだちや柚子を加えることもあるけれど、基本はできるだけ“引く”方向で考えます。
冷たさがある分、塩分や香りが少し立ちやすいので、調味料は最小限に。
代わりに、器や薬味で季節感を添えるようにしています。
私は、ガラスの小鉢や、浅めの白い磁器に盛りつけるのが好きです。
だしの澄んだ色、トマトの赤、薬味の緑。
何も飾らなくても、それだけで美しい。
そうやって、足しすぎない料理をつくることが、
結果的に「自分の感覚を信じる練習」になっているのかもしれません。
暮らしのすき間に、やさしい味を
夏の夕暮れ、冷たい麦茶といっしょに。
おにぎりと味噌汁を添えれば、それだけで十分満ち足りる。
そんなごく静かな夜の風景をつくってくれるのが、この「トマトのお浸し」という料理なのだと思います。