お気に入りの白いマグカップがあります。
どこで買ったのか、正直よく覚えていません。
きっと何かのついでに、たまたま手に取ったものだったと思います。
でも今では、このマグがないと一日が始まらない。
そう思うくらい、私の朝に欠かせない存在になっています。
“味気ないくらいシンプル”がちょうどいい
そのマグカップは、無地の白。
ブランドのロゴも、装飾も、何もありません。
でも、口当たりのカーブや、持ち手の収まり具合が妙に手になじんで、気づけば毎日使っています。
目覚めてすぐ、電気ケトルのスイッチを押しながら、そのカップを棚からそっと取り出す。
その所作が、私にとっての“切り替えの合図”になっているのかもしれません。
忙しい朝も、気持ちが整っていない日も、このマグに熱い紅茶や白湯を注いで、ほんの数口飲むだけで、少しだけ身体が“今日”に追いついてくる気がするのです。
新品より、“すこし古びたもの”のほうが落ち着く
このマグは、使い始めてもう何年にもなります。
底にはうっすらと茶渋が残り、持ち手の内側には小さな擦れた跡。
毎日ちゃんと洗っているのに、“使い込んでいるもの特有の色味や手ざわり”が、どこか安心をくれるのです。
新品の、つるんとした完璧な質感もいいけれど、私は今、このちょっと年季の入った佇まいのほうが、落ち着きます。
気持ちがすこし浮ついている朝でも、このマグを手にすると、自然と“いつもの朝”に戻れる気がするんです。
愛用品には、気持ちの居場所がある
きれいなモノはたくさんあるし、気分で使い分けてもいい。
でも、「自分がちゃんと戻ってこられるモノ」があることは、日々を落ち着かせてくれます。
私にとって、このマグカップは“朝の自分を連れてきてくれる相棒”のような存在。
気持ちが浮ついている日も、落ち込んでいる日も、このマグに触れればなんとなくいつもの自分が戻ってくる感じ。
そんな“気持ちの居場所”みたいなものが、暮らしの中には必要なのかもしれません。
名前はついていないけれど、確かな存在感
白いマグカップ。
それだけのことなのに、なぜか今日も、このマグを選んでいる自分がいます。
たぶんこの先も、似たようなものを見かけたとしても、これに勝るものはなかなか見つからない気がしています。
高価なわけでも、特別な記念品でもない。
でも、“今日という日を静かに始めさせてくれる存在”として、私にとっては、唯一無二の愛用品です。