パソコンやスマートフォンで文字を打つ毎日。
仕事の連絡も、予定の管理も、ほとんどが画面の中で完結しています。
でも私は、紙とペンで「書く時間」をいまも手放せずにいます。
それは、何かをまとめるためでも、誰かに見せるためでもなく、ただ、「自分の気持ちを見えるようにする」ための時間です。
文字の形が、気持ちのかたちになる
考えがうまくまとまらないとき、机の上のノートを開いて、浮かんでくる言葉をひとつずつ書いていきます。
ときにはただ「忙しい」「眠い」「なんか不安」みたいな短い言葉だけ。
でも、それを手で書くだけで、なぜか少し落ち着く。
書かれた文字が、“気持ちの輪郭”になってくれる感じがあるんです。
不思議なもので、同じ言葉でも、タイピングでは得られない感覚があります。
たとえば、少し力を入れた文字。
急いで殴り書きした文字。
いつもより丁寧に書こうとした文字。
それら全部が、「あのときの自分」の状態をちゃんと残してくれている。
書き心地=そのときの心の動きのようなものなんだと思います。
お気に入りのノートと、書くためだけのペン
私は、書くためだけに使っているノートがあります。
誰かに見せるものではないから、字もまちまちだし、レイアウトもバラバラ。
でもその自由さが心地よくて、開くたびに“自分の中に戻れる”感じがします。
万年筆や、少し重みのあるボールペン。
使う道具も、その日の気分に合わせて選びます。
お気に入りのペンを使うと、それだけで「ちゃんと書こう」という気持ちになるから不思議です。
書く内容はなんでもいい。
ToDoを書いてもいいし、夕飯に食べたものでもいい。
ときには、今日あった嬉しかったことを3つだけ書いて終わることも。
でもそうやって“紙の上で自分と向き合う”時間があると、どこか気持ちの重なりが解けて、明日が少しだけ整って見えてくるんです。
デジタルでは得られない、“余白”の存在
画面上で書くと、文字はどんどん詰まっていきます。
でも、紙に書くときは自然と「書かない空間」=余白が生まれる。
行間を空ける。
左側にぽっかり余ったスペースができる。
その余白が、なぜか心に余裕をくれると感じることがあります。
何かを埋め尽くさなくていい。
うまく書こうとしなくていい。
「書くこと」が目的じゃなくて、「感じること」に近い時間だから、書き終えたあと、すこしだけ呼吸が深くなる。
それが、私にとっての“紙に書く”という行為です。
日々を整える、小さな手の習慣
誰かに伝えるためじゃない。
記録のためでも、成果を残すためでもない。
でも、紙に向かって言葉を綴る時間が、私のなかの散らかった気持ちを、そっとまとめてくれる。
紙に書くことは、言葉を形にするというより、自分の心の声に、そっと耳をすますこと。
今日もまた、ノートを開いて、手を動かす。
その小さな習慣が、私の暮らしを、静かに支えてくれています。