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贈る、という行為を見直す。夏のお中元に込めた気持ち

ふと、デパートの地下でお中元特設コーナーを見かけたときのこと。
整然と並ぶ熨斗付きの箱を見て、「ああ、今年もこの季節が来たんだな」と思いました。

けれどそのまま通り過ぎようとして、足が止まりました。
今年は、何か贈ってみようか。
カタログではなく、自分の気持ちごと選んだものを。
そう思ったのは、贈ることそのものを“もう一度自分の言葉で選び直したい”と感じたからかもしれません。

「贈る=形式」になっていた頃

お中元というと、どこか“義務”のような響きがあるのも事実です。
何を贈れば失礼がないか。金額の相場。包装のマナー。
大人になってからは特に、“間違えないための行動”として選ぶことが増えていました。

でも、ふと思ったんです。
「私が本当に贈りたいものって、なんだろう?」と。

贈る相手の顔を思い浮かべて、最近あの人は忙しそうだったな、とか、甘いものはあまり食べないって言ってたな、とか。
そういうことを思い出しながら選ぶ時間こそが、贈り物よりも大事なのかもしれない、と気づきました。

相手の時間に、そっと入り込むように

贈るという行為は、ただ“モノ”を届けるだけではありません。
相手の暮らしのなかに、そっと入り込むような行為。

たとえば、冷たい和菓子を贈ったとしたら、その人はある日の午後に、それをお茶と一緒に味わうかもしれない。
そのときの風の音や光の入り方まではコントロールできないけれど、その人の時間に“私の気持ちのかけら”が混ざってくれることが、なんだか嬉しいのです。

お中元とは、もともと「日頃の感謝を伝える夏の便り」。
だからこそ、“形式のなかに自分の気持ちをどうにじませるか”が、贈る楽しさのひとつなのかもしれません。

自分なりの“贈り方”があっていい

私は今年、小さなガラス瓶に入った出汁セットを選びました。
毎日料理をする方だから、消えものの方がいいだろうと考えたのと、その透明な瓶が、暑い夏の日に少し涼を感じさせてくれるような気がしたから。

それは、百貨店の“定番お中元ギフト”ではなかったけれど、私にとっては「相手の暮らしにそっと合うもの」として選んだものでした。

正解かどうかはわかりません。
でも、こういう選び方が、自分にとって気持ちのいい“贈り方”なのかもしれません。

贈ることで、自分の気持ちも整う

贈り物をすると、なんだか自分の気持ちまで整ってくることがあります。
誰かのことを思い浮かべて過ごす時間が、せわしない日々の中に静かな“他者とのつながり”を生んでくれるからでしょうか。

贈り物は、「私はあなたのことを覚えています」というサイン。
それが箱の中身でなくても、包装紙やカード、選ぶまでの過程にだって、その人らしさはきっと宿っている。

だから私は、“贈ること”は、“私から始まる思いやり”のようなものだと思っています。

今年のお中元は、そんな気持ちごと届けられたら——
きっとそれだけで、夏の挨拶は十分なのだと思います。